名来の紙漉きの名残りか
2010-09-03


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朝の散歩で思いついて名来の旧街道を歩いた。最近読んだ「下り酒物語(渡辺芳一著)」の中で紹介されていた酒造り唄の一節が気になっていた。『有馬湯でもつ 湯は湯女でもつ 名来山口 紙でもつ』という一節だ。また神戸女子大学文学部史学科発行の「西宮市山口町上山口・下山口の民俗」という報告書にも以下の記述がある。「山口町は農地が少ないため、農閑期に副業をして生計を立てた。紙漉きが行われた。(中略)江戸末期から明治初年頃が最盛期だった。(中略)紙漉きには水がたくさん必要である。敷地の中に溜池がないと紙漉きができない。必要に応じて水路が発達した。山口町の道路の両側には必ず水路がある。水路から敷地内の溜池に水を引き、紙漉きをしていた。(中略)
昔溜池があった家を数えると約60軒あったので紙漉きをしていた家は60軒くらいあったのだろうと考えられる」
 そういえば名来の旧街道の両側に整備された水路があった筈だ。というわけで、今日の散歩ルートとなった。名来は30年ほど前に大規模な区画整理が行われ、昔の面影が一変した。直線道路が碁盤状に南北に長く伸びている。唯一、正明寺などの前を通る旧街道だけがそのままに残されゆるやかなカーブを描いている。正明寺の境内には今も雨乞い地蔵が祀られている。あらためて道路沿いの水路を確かめた。夏場ながら豊富な水量が音をたてて流れていた。かろうじて今に残る名来の紙漉きの名残りをしみじみと眺めてみた。
[風土記探訪]

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