禺画像]
「なんやあのふざけたオッサンは。勝手に横這入りしてエエんか!」。突然、ひとりごとにしては大きすぎる呟きが聞こえた。日曜朝のマクドナルドの店内だった。
リョウは、カウンター横のいつものテーブル席でいつものようにコーヒー片手に文庫本の小説に浸っていた。リタイヤして三年が経とうとしている。朝の1時間ばかりのウォーキングが日課となっていた。自宅近くの川の土手道が格好の散策コースになっていた。隣町の神社で折り返し、川沿いの国道に出てしばらく行くと自宅のある住宅街近くのマクドナルドが迎えてくれる。現役時代には出勤すると何をおいても自販機のモーニング・コーヒーで一服するのが習慣だった。リタイヤ後にその習慣を可能にしてくれたのがマクドナルドだった。何しろ7時台の散歩である。開いている喫茶可能な店は24時間営業のここしかない。散歩帰りにマックのブレンドコーヒーを片手に文庫本の読みかけの小説を読むのが、愉しい一日の始まりとしてほどなく定着した。
読みかけの小説は「阪急電車」だった。阪急今津線と言うローカルな私鉄路線の車内でのほのぼのとした日常を巧みに掬い取った作品だった。作者の有川浩が、実際に目にした筈の車内でのチョッとした出来事が素材になっているに違いない。それらを物語の素材として掴み取る感性と肉付けして物語に仕立て上げてしまう作家の凄味に舌を巻きながら読みふけっていた。そんな時にリョウの耳に入ってきた呟きだった。
小説世界から引き戻されるに十分な気になる呟きを耳にして、視線をカウンター方向に戻した。呟きの本人が居た。見るからに強面のする上背のある四十代とおぼしき男性だった。すぐそばで高校生くらいのこれまた背の高い女の子が周囲の視線を気にしながら顔を赤らめて佇んでいた。娘にちがいない。オヤジの怒りは納まりそうにない。娘はしきりになだめているようだが、それがまたオヤジの怒りの火に油を注いだのだろう。「言うてきたる」と言い残してオヤジが怒りを足音に込めたかのような足取りで、通路奥のテーブルに向った。
奥のテーブルには若い夫婦と子どもの家族連れが陣取っていたようだ。「みんな並んで待っとるのに何でお前だけ勝手に横這入りするんやッ!」。大きな怒鳴り声が聞こえた。そのあまりの剣幕に三十前後の小太りで善良そうな男性が思わず立ち上がった。オヤジ言うところのオッサンである。「すんません」という声がかすかに聞こえた。それで、「これにて一件落着ッ!」かに思えた時だ。「コーヒーのお代わりは順番に関係ないのに・・・」とオッサンの言い訳がましい言葉がついて出たのだ。「なんやとッ。もうイッペン言うてみぃ。謝ったんちゃうんか」。こうなるとオッサンも家族の手前アトに引けない。「そやからコーヒーのお代わりだけは順番待たんでもいつでもできるんや。なんやったら店の人に聞いてみよ」と、オヤジの背中を押すように二人してカウンターに戻ってきた。
リョウは、ここにきて事件の背景をようやく理解した。ことは世界最大のファーストフードチェーンのサービスの在り方が一因なのだ。マクドナルドのブレンドコーヒーは120円の格安価格で人気を集めている。しかもお代わり自由なのだ。これは注文の際にリョウ自身もスタッフからも告げられている。問題はお代わりの際に順番待ちをしなくてよいかという点にある。こちらは店内のどこにも掲示されていないし、スタッフからも告げられた記憶もない。ワン工程ということもあり、求められればスタッフが順番に関わらずいつでも応じているというのが実態である。いわば常連客には通用している暗黙の了解事項みたいなものだ。ところがそのサービスは通常は問題にならなくとも、行列のできる繁忙時には不公平感がやけに目立ってしまう。またそんな時間帯だからこそ、初めてや、たまにしか来ない客も多くなる。到底マックの馴染み客とは思えないイラチで短気なオヤジのようなタイプには、それは「許し難い暴挙」と映っても致し方あるまい。
セコメントをする